2011年3月26日土曜日

被災者として

 3月11日は忘れられない一日です。5分間の揺れがすべての日常を奪い去った。繰り返される日常が当たり前ではないく、生きているのではなく、生かされていたことを改めて、いや、はじめて心底痛感した。
 自分が一週間後に生きているのかわからないという、命の保証を失ったことによる不安感は忘れない。ただ、考えてみると、災害以前の平和な日常にあっても、一週間後、いや、明日の命の保障など誰もしてくれてはなかったのに...被災地にいるという状況が自身を言いようもない不安にかりたてた。
 ガソリン渋滞、買占め、原発など不安、混乱は解消されてはいないが、少しずつかつての日常に戻る兆しがみえる、社会も人も、自分も日常に戻るために必死だ。いまは、前しか見ていない。大事なことを置き去ってしまっているように。
 しかし、水、電気、ガス、携帯電話、いわゆるライフユーティリティー。これらを失ったあの日の夜にみた満天に輝くの星の美しさは忘れない。
 人は何かを得るためには何かを差し出さなければならない。星の輝きを見るためには、灯りを捨てなければならない。これはなんにでもいえることだ。

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